通じない日本語

2016.10.28 岡田定晴
 メランコリア(作曲:Amacha)

 私が休日に、次女とウェブサイト閲覧に関する話をしていたとき、そして孫とゲームの話をしているとき、妻が「それ日本語? 全然わからない。」と言いました。

”28歳の次女との会話”
次女:(ブラウザであるWebサイトを探しているが見つからない)
私 :そのブラウザ、Firefoxだから、Chromeに変えてみたら。タスクバーにChromeのアイコンがあるよ。
次女:検索順位がこんなに高い。
私 :シークレットモードで入らないとわからないよ。
次女:やはりこんなもんか。


”小学一年生の孫との会話”
孫:じいじのiPad使わせて。
私:2階に行ってじいじのiPad持ってきて。
孫:暗証番号入れて。
私:(パスコード[操作を開始する際に求められるパスワード]を入れる)
孫:(新しいゲームを見つけて) このゲームダウンロードして
私:うん。(パスワードを入れる)
孫:(ダウンロードを開始するとすぐにiPadを自分の手元に持っていく)
  (新しいゲームにすぐに慣れて、素早い手つきでゲームを楽しむ)
私:あ、Wi-Fiを切るのを忘れた。iPad貸して。
  (Wi-Fiをoffにして孫に渡す)
孫:(ゲームを再開しようとするが、Wi-Fiが接続されていないと動かない)
  (自分で勝手にiPadを操作してWi-Fiに接続)




広告

 社会に出て仕事を始めたころ、あるいはそれまでと大きく異なる分野の職場に異動したときなど、周囲の人が話している言葉が 理解できないことがありました。そういう場合は、分からないことを教えてもらいながら一緒に仕事をするうちに分からない言葉もなくなり 自然に仕事ができるようになりました。誰にでも、そんな経験があるのではないでしょうか。

 言葉を理解するには、言葉を発する人との共通の経験が必要なのだと思います。 急速に進化を遂げる新しいものに興味を持って接したり、実際に利用してメリットを受けるなどの 経験が有るのか無いのかによって、同じ日本語なのに聴いていて「さっぱりわからない」ということが 起きてしまうのでしょう。これから先の私たちの暮らしを考えてみると、ICT(情報通信技術)はこれからますます発展し、 パソコンやタブレットにスマホは当然ながら、カメラやテレビ、家庭内の照明や空調機器など普段の生活に入り込んできて、 本当に身近な存在になっていきます。関心を持って積極的に経験しないと、昔、社会に出たときやそれまでと大きく異なる分野の職場に 異動したときに経験したように、日本語がわからないという場面が増えていくのではないでしょうか。普通の家庭の中に居るのに。

 さて、話を冒頭の問題に戻しましょう。社会でICTの恩恵を受けながら仕事をする機会もなく、 ひたすら家庭にあって家族のために生きることを幸せと感じている妻に、ICTがもたらす暮らしの楽しさを教え、 学ぶ意欲を起こしてもらうにはどうしたら良いのでしょう。50歳代も半ば過ぎ、現代のICT関連の言葉を理解できないまま、 「食わず嫌い」と言いますか、教わる前に「苦手」とか「難しくて嫌」と言ってICTに近づこうとしない人々を、 どのように導くのか? 私にとっても社会にとっても、大きな課題です。


TOPへ


 平成の徒然草ICT版    これまでのブログ

 広告




 広告