コーヒーブレイク:技術の進歩は止められないから前進するしかない

2016.11.07 岡田定晴
 悲しい夢(作曲:Amacha)

 新美南吉の童話に「おぢいさんのランプ」という話があります。 孫が倉で見つけたランプを見て、おじいさんが貧しい孤児から文明開化を感じさせる「ランプ屋」で身を立て、書物が読めるように努力し、 電燈の時代になって「ランプ屋」を棄て「本屋」になったという昔話を孫にするお話です。おじいさんは、最後に孫にこう言います。 「わしの言いたいのはこうさ、日本が進んで、自分の古い商売がお役に立たなくなったら、すっぱりそいつをすてるのだ。 いつまでもきたなく古いしょうばいにかじりついていたり、自分のしょうばいがはやっていた昔の方がよかったと言ったり、 世の中の進んだことを恨んだり、そんな意気地のねえことは決してしないということだ」



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 新しい分野の技術が立ち上がった初期のころは、その道の数少ないプロが情報を独占し、高価な装置やシステムを使いこなして、その存在感を示します。 技術を持った人がいなければ、目的を達成することができないからです。しかし、年月の経過とともに、高価な装置やシステムに様々な工夫が成され、 その道の技術も進歩します。更に、装置やシステム自体も、大きなニーズを背景に大量生産が行われるようになるとコストが低下して性能も安定し、 使いこなすのに難しい技術をそれほど必要としなくなります。安価なコンシューマー向け製品で目的が達成できるようになります。 こうなると、その道のプロは立場が脅かされるようになります。

 若い人、意欲のある人は、新しい技術を採り入れようと真剣に立ち向かいます。しかし、立場が確立している人、技術のプロの中には、 それまでの権威や地位にしがみつこうとして、新しい動きを阻止しようする人も出てくるものです。 「性能が悪い、そんなものはすぐにダメになる、秩序を乱す、混乱を招く・・・」等と言って、少しでも自分の存在感をアピールしようとします。 少しでも失敗しようものなら、「俺が言った通りだろう」と言って非難します。

 長い目で見れば、技術の進歩は止められるものではありません。止めようとしても無駄です。であれば、大量の情報から冷静に、 技術や世の中の動向を分析して、その先を行く努力をすべきでしょう。そうでなければ生き残れません。 新見南吉が亡くなる29歳の時、ちょうど日本が太平洋戦争に突入した直後に発表された「おぢいさんのランプ」。 生きることが大変だった時代に、平和で豊かな社会を築くために「技術の進歩」と「進歩させるための前向きの生き方」の大切さを訴えていました。


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