コーヒーブレイク:夜行列車と青函連絡船

2016.11.23 岡田定晴
 悲しい夢(作曲:Amacha)

 初めて北海道を旅行したのは昭和49年の2月でした。2度目は、同じ年、昭和49年の夏で、1度目とは異なるルートで北海道を一周しました。 いずれも、新幹線で名古屋を出発し、東京から上野へ、そして上野発19時の夜行列車で札幌に向かいました。 青森に到着するのは早朝でした。乗客は列車を降りて青函連絡船に乗り込み、列車もまた連絡船に積み込まれました。 陸奥湾から津軽海峡に出て函館に向かいます。途中、竜飛岬や大間崎が見えるとそれを伝えるアナウンスがあり、遠くを見たり毛布にくるまってうとうとしたりして、 4時間かけて函館に到着します。だから、昭和51年に、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」を聴いたとき、その景色が目に浮かびました。



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函館で、連絡船から降ろされた列車に再び乗りました。 函館から少し走ると、本州の風景とはまるで違っていました。「何もない」という印象が強く残りました。駒ケ岳は美しい姿をしていました。 森町で買った駅弁の「いかめし」を昼食にし、羊蹄山を右に眺めながら、列車は余市、小樽へと向かい、札幌に到着したときには既に夕刻になっていました。 上野を出てから札幌まで、ほぼ一日、列車の中で一泊し、船に乗り、人家の見えない場所をひたすら走り続けました。 いくら学生でも、ぐったりと疲れたことを鮮明に覚えています。


写真:はやぶさ・こまち 写真:特急券  あれから42年以上経過して、東京(上野ではない)~函館(新函館北斗)間は約4時間で結ばれるようになりました。 これは青函連絡船に乗船している時間とほぼ同じです。朝10時20分発のはやぶさ13号に乗ると新函館北斗到着は14時37分で所要時間4時間17分。 そして、新函館北斗15時15分発のスーパー北斗15号に乗ると、18時41分に札幌に到着します。 札幌到着時刻は42年前とほぼ同じ(正確には覚えていません)なので、東京~上野間の乗り継ぎを考えると、15時間近く短縮されたことになります。


 移動時間が短縮されることは経済的には良いことかもしれません。しかし夜行列車に乗ったり、連絡船に乗ったりして、時間をかけて「滅多に行くことのできない遠くの世界へ行く」という、 昔味わうことのできた旅の趣はもうありません。リニア中央新幹線が完成した時には、「昔は、のぞみで品川~名古屋が1時間29分、品川を出て富士山や浜名湖を 見ながら弁当を食べ、本を読んでいたらもう名古屋だった。リニアになって、窓の外の風景も楽しめず首都圏の通勤時間より短い時間、40分で名古屋に着いた。」などと、 また新しい世界観が生まれるのでしょう。

 余談ですが、夜行列車が次々に消えゆく時代の中で私が願うことは、ビジネスで移動する時は経済効率優先で超特急列車、 安らぎの旅に出る場合は情緒満喫の夜行列車と言う具合に、時に応じて二つのスタイルの列車から好きな方を選択できる世の中で あってほしいということです。


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