ワープロの無かった時代

2016.12.01 岡田定晴
 懐かしい時代(作曲:Amacha)


 今は仕事でパソコンを使わないことは考えられないので、それが無かった時代のことは想像できないでしょう。 昭和50年代、まだワープロもパソコンも無い時代、仕事で必要になる文書や図面は手書きで作成していました。 20代半ばの自分は、字を書くことも、人にわかるように文章表現するのも下手で、業務で「報告書」や「提案書」を作成することが苦手でした。 苦労して「報告書」や「提案書」を作成して提出しても、何度も何度も修正されるので、それが嫌で逃げていました。 消しゴムで文字を消して書き直すことも大変な苦痛でした。 B4サイズ1枚に要点をまとめれば良いのですが、書く気にはなれませんでした。 難しいことをわかりやすく人に伝えて理解を得ることの重要性が理解できていなかったのです。 でも、仕事をする上で、字が綺麗で文書作成能力があればどんなに力強いことかと思ったことはありました。



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 この頃の自分は、「業務を遂行する能力や技術力」よりも、「資料の作成能力」で人の評価が決められるのだと感じたこともあり、 字が綺麗で文書作成能力がある人を、羨ましいというよりは、そんなことだけで評価される人を「けしからん」と思っていました。 業務遂行能力や技術力が無いのに綺麗な文字で報告書を書いてその内容が偉い人に伝われば評価されてしまう、 偉い人には現場の苦労がわからず報告書を書いた人しか見えていないと感じたからです。

 私の仕事は、現場が必要とするシステムの仕様を、予算と現場ニーズの板挟みにあいながら調整して決定し、発注し、 納期までにそのシステムを完成させて運用に結び付けることでした。図面を書いたり表を作成したり、定型的な文書を書いていました。 CAD(Computer-Aided Design:コンピュータで設計や製図を行うこと)もワープロもありません。 少しでも文字や図が綺麗に見えるようにと、数字とアルファベットのテンプレートや、論理記号やフローチャートのロジック定規を愛用していました。 鉛筆や消しゴムや修正液、消しゴムで汚れた机の上を掃除するハケ、図面が動かないように固定する文鎮や錘(おもり)、 図面の下に敷く大きな固いゴム製の下敷きなどが必需品でした。
こうした道具を駆使して作成した図面や表や文書は、契約書類の一部としても使われることから、 専門の業者にトレース(原図をトレーシングペーパーに透かして写すこと。製図)に出していました。 フリーハンドの図面や表でも、トレースのプロの手に掛かると見事に綺麗なものになりました。

 昭和50年代の終わりころ、事務机ほどの大きさの金属製のテーブルに据え付けられた、東芝製のワープロが試験的に導入されました。 部下の文章作成能力が酷いと思っていたワープロを導入した部長が、そのワープロで「報告文書作成の要領」をまとめた指導書を作成しました。 その中に「将来、ワープロが普及すると個性ある手書きの文字が珍重されるかもしれない。」というくだりがあり、 そのことを自慢げに話していたことが印象に残っています。

あれから30年以上経過した今、手書きの報告書や提案書を作成することはありませんし、当時の手書きの文書を見ることもできません。 当時の「字が綺麗で、文書作成能力がある人」に再現して欲しいものです。 自分の手を動かして文字や図面を描くのが当たり前だった時代、手を動かしたほうが速いのに何でキーボードやマウスを使わなくてはならないのか と思っていた時代は、もう遠く彼方に忘れ去られようとしています。


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