デジタル写真の配布について思うこと

2016.12.08 岡田定晴
 秋のモノローグ(作曲:Amacha)

皇居のスワン  同窓会や趣味の会などで高性能なデジタルカメラで記念写真を撮る機会は多いのですが、撮影した写真を参加した人にどのようにして配布するかについては、 写真が電子化された今の時代でも非常に難しいものであると思っています。

 フィルムカメラの時代は、写真が出来上がるのが待ち遠しいものでした。世話人が写真のサンプルを作成し、それを見てどの写真が欲しいのかの意思表示をしてもらい、 写真ごとに焼き増しする枚数を確定し、一人一人が希望する写真を封筒に入れ、写真代と引き換えに封筒を渡したものでした。 「フィルム」や「現像」が無くなった今は、写真のコストを気にする必要は無くなりました。普段の自然な表情や、思わぬハプニングも撮影することができます。 昔とは比べられないほど、たくさんの写真を撮ってしまいます。フィルムの残り枚数を気にしてシャッターを押さないということはありません。

 会社のイベントやリクリエーションなどは、社内のコミュニケーション手段を使って写真を配布することが可能でしょうが、普段顔を合わせることのないグループでは、 連絡を取り合うことすら難しいものです。まして、私と同世代の人たちは、パソコンやタブレットPCを持っていない人、 これらが家にあっても操作できない人も多いのです。だから、写真を電子化されたデータとして受け取ったり、電子化されたデータとして見るということができないのです。 写真を撮ってもらった人からすれば、「あの写真どうなったのかな」「どうして配ってくれないのかな」と思っているでしょう。 でも、いざやろうとすると、案外難しいものなのです。写真を撮っても配布手段がないので、写真を撮ることを止めてしまったこともあります。



広告

 実際にデジカメの写真を配ろうとすると、以下のようなことが問題になります。
 ①たくさんのデジタル写真を持っていても、それを配布する適切な手段が無い。  ②配布すべき人のメールアドレスがわからない。メールアドレスの管理ができない。  ③メールに添付できるファイルには容量制限があり、綺麗な写真や数多くの写真が送れない。  ④一眼レフで撮影した画像は非常に大きなサイズ(例えば3872×2592で3.64MB)で、 これをパソコンで利用しやすいサイズ、携帯やスマホで利用しやすいサイズなどに変換する手間がかかる。  ⑤SNSやクラウドのストレージを利用して配る方法もありますが、一枚単位でアップロードし登録に時間がかかる。  ⑥これらは、設定の内容によっては写真がコピーされたり、再配信される恐れがある。

同窓会 このような苦労は、理解してもらえないものです。
最近、同窓会でたくさんの写真を撮りましたが、思い切って次のようなメモを作成して配布しました。 身近にパソコンや、私の書いたメモの内容を理解できる人はいるであろうという前提で・・・
**************************************************************************************
〇以下のような手順で、写真をダウンロードしてください。  http://www.zzzzzzzzzz.co.jp/photo/ と入れると認証画面が出ますので、ユーザー名、パスワードともyyyyyyyyと入れてください。
〇写真ファイルのダウンロードが開始されます。圧縮されていますので、解凍してください。  普段使っている解凍ソフトで大丈夫です。わからなければ、わかる人に聞いてください。  なお、解凍ソフトのダウンロード先は、下記のとおりです。http://www.ssssssssss.co.jp/library/software/zzzzzz/
**************************************************************************************
 これは、「写真の置いてある場所に、各自で取りに来てください。」というもので、最も少ない手間で、 最速で写真を配布するものです。画像のサイズを2種類作成し、ダウンロードの仕組みをつくる手間はかかりました。

 この結果、ある人は、ダウンロードした写真を使って同窓会の様子を記録する資料を作成し、 またある人はFacebookに投稿して仲間に知らせて、私の撮った写真を活用しました。これまでは、使われないまま 眠っていたものが、使われたのです。写真が全員に行き渡ったかどうかは、まだわかりません。

 技術が発展し、昔とは比較にならないほど、速くたくさんの写真が出来て、幅広く活用できるのに- 「ICT(情報通信技術)に関する共通認識や経験がないと、その恩恵を受けることができないのだ。」 ということを痛感しています。このことは、ややもすると、「昔のままのやり方でやって欲しい。 そんな難しいことは止めて欲しい。」という人との間で、深い溝ができてしまうのかもしれません。 でも、新しいことを否定するのではなく、少し努力して最新技術の恩恵を受けて欲しいと思うのです。 同じようなことが企業や組織、あるいは国レベルで起きていて、ICTの推進にブレーキがかかっているのかもしれません。 日本がICT(情報通信技術)の分野で最先端を行く国でありたいのなら、 積極的に有効活用しようという人たちと、苦手意識から否定的にとらえる人たちとの溝を埋め、 更に一歩進んで否定的な意見や人々を克服していかなくてはなりません。 それには、この分野に関する教育が重要であると感じています。 特に、幼稚園などで楽しく遊びながら親しめるタブレットPCのゲーム活用など、 小さい頃からICT及びデジタル機器が生活に入り込んでいる環境作りが有効だと思います。 そう、今日の日本の繁栄を目指して、昔の日本が子どもたちの教育で、読み・書き・算盤に力を入れたように。


TOPへ


 平成の徒然草ICT版    これまでのブログ

 広告




 広告