ICTの今と昔 ~その3「1980年代後半」~

2017.03.21 岡田定晴
 愛と憎しみ(作曲:Amacha)

 これから述べる「1980年代後半」は、装置の設計や開発の専門家としてではなく、将来のために最新の技術を取得しようとしていた個人の経験に基づくものです。

ワープロ松で作成した記号表 1980年代後半(Windows以前)のパソコン関連書籍  1980年代後半には、NECのPC98シリーズが全盛を誇り、国産のワープロ「松」「一太郎」、図形ソフト「花子」、データベース「桐」などの実用的なソフトが登場し、 パーソナルコンピュータはマイコンの時代とは比較にならないほど実用的なものに進化していました。 業務面でも、さまざまな分野でパーソナルコンピュータの試験的な導入が試みられていました。



1200bpsパソコン通信によるオンライントレードサービス 花子とカラードットプリンターによる年賀状(S62~64)  NECのPC9801VM2(5インチフロッピーディスク2台を搭載)が44万円、カラーのドットプリンターが23万円くらい、それでも将来のため自分に投資したくて買いました。 パソコン通信の速度は1200bps程度あり、三洋証券がオンライントレードサービスを行っていました。今のEthernetとは違いますが、社内LANを構築し、 コンピュータ間で通信ができる時代になっていました。しかし、個人でアナログ電話回線を通信に使うことですら一般化しておらず、コンピュータ通信には深入りしませんでした。 データベース「桐」と図形ソフト「花子」を駆使して、カラー刷りの年賀状を作成していました。

 そのころ、絶大な人気のあった国産パソコン、NEC PC9801のバスにつながるフレームメモリーが、C言語のライブラリ付きで売られていました。 フレームメモリーに付属していたライブラリは、点や四角や円を描画したり、画素のデータをrgbで読み取ったり、フレームメモリー付属の ルックアップテーブル(入出力関係を自在に変えることのできるハードウェア)のパラメータを変更するなど簡易なもので、 作画装置としては基本的な機能しか持っていませんでした。しかしこのフレームメモリーは、1画素8bitの情報量を持ち 写真のような自然な画像を表現することができました。当時のパソコンのグラフィックス機能は、縦横の画素数も、 各画素のビット数(深さ)も少なく、写真のような自然な画像は表現できませんでした。 ですから、パソコンのバスに接続できるフレームメモリーは大変ありがたく貴重なものでした。 このフレーム面ポリーに付属していたライブラリを発展させ、グラデーションや立体的な文字の発生、セピアカラー化、画像のγ変換、 明るさやコントラストの制御、映像試験信号の発生などを行うC言語の関数を作成しました。



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C言語で書いた時間減算関数  MIFESというエディタを使ってC言語でソースプログラムを書き、ソースが完成したらCコンパイラを起動ました。2台のフロッピーディスクがカチャカチャと音を立ててフル稼働、 数分待って、コンパイルされたファイルをリンクして実行ファイルを作成します。その実行ファイルを起動して自分の設計した通り動けばOKですが、 期待通りの動作をしない場合はソースを見直して修正し、再度コンパイル・リンクをおこない、期待通りの動作をするまでこれを繰り返しました。 とても効率が悪く忍耐力の要る作業でした。プログラムが完成して作画を開始しても、CPUの処理能力が低いため、期待通りの結果が得られるのに一晩かかることもありました。 今では、3次元で描画してリアルタイムで回転させることができるCUBEの一面の画像処理だけでも一晩かかりました。

 1970年代後半の初期のマイコンと比較すれば、パソコンはMS-DOSなどのOSを持ち、フロッピーディスクやプリンターやCRTディスプレイを装備し、 エディタやCコンパイラなどの高級言語が走るもので、かなり進歩していました。でも、今のパソコンに比べれば、機能や性能は全く比較になりません。 それでも、10年間の急速な成長を実感して、「将来がこうした技術の発展上にあることは間違いない」と確信したのは、1970年代後半と同じでした。


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