渋谷 朗読シアター
再生
花のき村と盗人たち
新美南吉
一
むかし、
花
(
はな
)
のき
村
(
むら
)
に、五
人組
(
にんぐみ
)
の
盗人
(
ぬすびと
)
がやって
来
(
き
)
ました。
それは、
若竹
(
わかたけ
)
が、あちこちの
空
(
そら
)
に、かぼそく、ういういしい
緑色
(
みどりいろ
)
の
芽
(
め
)
をのばしている
初夏
(
しょか
)
のひるで、
松林
(
まつばやし
)
では
松蝉
(
まつぜみ
)
が、ジイジイジイイと
鳴
(
な
)
いていました。
盗人
(
ぬすびと
)
たちは、
北
(
きた
)
から
川
(
かわ
)
に
沿
(
そ
)
ってやって
来
(
き
)
ました。
花
(
はな
)
のき
村
(
むら
)
の
入
(
い
)
り
口
(
ぐち
)
のあたりは、すかんぽやうまごやしの
生
(
は
)
えた
緑
(
みどり
)
の
野原
(
のはら
)
で、
子供
(
こども
)
や
牛
(
うし
)
が
遊
(
あそ
)
んでおりました。これだけを
見
(
み
)
ても、この
村
(
むら
)
が
平和
(
へいわ
)
な
村
(
むら
)
であることが、
盗人
(
ぬすびと
)
たちにはわかりました。そして、こんな
村
(
むら
)
には、お
金
(
かね
)
やいい
着物
(
きもの
)
を
持
(
も
)
った
家
(
いえ
)
があるに
違
(
ちが
)
いないと、もう
喜
(
よろこ
)
んだのでありました。
川
(
かわ
)
は
藪
(
やぶ
)
の
下
(
した
)
を
流
(
なが
)
れ、そこにかかっている一つの
水車
(
すいしゃ
)
をゴトンゴトンとまわして、
村
(
むら
)
の
奥深
(
おくふか
)
くはいっていきました。
藪
(
やぶ
)
のところまで
来
(
く
)
ると、
盗人
(
ぬすびと
)
のうちのかしらが、いいました。 「それでは、わしはこの
藪
(
やぶ
)
のかげで
待
(
ま
)
っているから、おまえらは、
村
(
むら
)
のなかへはいっていって
様子
(
ようす
)
を
見
(
み
)
て
来
(
こ
)
い。なにぶん、おまえらは
盗人
(
ぬすびと
)
になったばかりだから、へまをしないように
気
(
き
)
をつけるんだぞ。
金
(
かね
)
のありそうな
家
(
いえ
)
を
見
(
み
)
たら、そこの
家
(
いえ
)
のどの
窓
(
まど
)
がやぶれそうか、そこの
家
(
いえ
)
に
犬
(
いぬ
)
がいるかどうか、よっくしらべるのだぞ。いいか
釜右ヱ門
(
かまえもん
)
。」 「へえ。」 と
釜右ヱ門
(
かまえもん
)
が
答
(
こた
)
えました。これは
昨日
(
きのう
)
まで
旅
(
たび
)
あるきの
釜師
(
かまし
)
で、
釜
(
かま
)
や
茶釜
(
ちゃがま
)
をつくっていたのでありました。 「いいか、
海老之丞
(
えびのじょう
)
。」 「へえ。」 と
海老之丞
(
えびのじょう
)
が
答
(
こた
)
えました。これは
昨日
(
きのう
)
まで
錠前屋
(
じょうまえや
)
で、
家々
(
いえいえ
)
の
倉
(
くら
)
や
長持
(
ながもち
)
などの
錠
(
じょう
)
をつくっていたのでありました。 「いいか
角兵ヱ
(
かくべえ
)
。」 「へえ。」 とまだ
少年
(
しょうねん
)
の
角兵ヱ
(
かくべえ
)
が
答
(
こた
)
えました。これは
越後
(
えちご
)
から
来
(
き
)
た
角兵ヱ獅子
(
かくべえじし
)
で、
昨日
(
きのう
)
までは、
家々
(
いえいえ
)
の
閾
(
しきい
)
の
外
(
そと
)
で、
逆立
(
さかだ
)
ちしたり、とんぼがえりをうったりして、一
文
(
もん
)
二
文
(
もん
)
の
銭
(
ぜに
)
を
貰
(
もら
)
っていたのでありました。 「いいか
鉋太郎
(
かんなたろう
)
。」 「へえ。」 と
鉋太郎
(
かんなたろう
)
が
答
(
こた
)
えました。これは、
江戸
(
えど
)
から
来
(
き
)
た
大工
(
だいく
)
の
息子
(
むすこ
)
で、
昨日
(
きのう
)
までは
諸国
(
しょこく
)
のお
寺
(
てら
)
や
神社
(
じんじゃ
)
の
門
(
もん
)
などのつくりを
見
(
み
)
て
廻
(
まわ
)
り、
大工
(
だいく
)
の
修業
(
しゅぎょう
)
していたのでありました。 「さあ、みんな、いけ。わしは
親方
(
おやかた
)
だから、ここで
一服
(
いっぷく
)
すいながらまっている。」
そこで
盗人
(
ぬすびと
)
の
弟子
(
でし
)
たちが、
釜右ヱ門
(
かまえもん
)
は
釜師
(
かまし
)
のふりをし、
海老之丞
(
えびのじょう
)
は
錠前屋
(
じょうまえや
)
のふりをし、
角兵ヱ
(
かくべえ
)
は
獅子
(
しし
)
まいのように
笛
(
ふえ
)
をヒャラヒャラ
鳴
(
な
)
らし、
鉋太郎
(
かんなたろう
)
は
大工
(
だいく
)
のふりをして、
花
(
はな
)
のき
村
(
むら
)
にはいりこんでいきました。
かしらは
弟子
(
でし
)
どもがいってしまうと、どっかと
川
(
かわ
)
ばたの
草
(
くさ
)
の
上
(
うえ
)
に
腰
(
こし
)
をおろし、
弟子
(
でし
)
どもに
話
(
はな
)
したとおり、たばこをスッパ、スッパとすいながら、
盗人
(
ぬすびと
)
のような
顔
(
かお
)
つきをしていました。これは、ずっとまえから
火
(
ひ
)
つけや
盗人
(
ぬすびと
)
をして
来
(
き
)
たほんとうの
盗人
(
ぬすびと
)
でありました。 「わしも
昨日
(
きのう
)
までは、ひとりぼっちの
盗人
(
ぬすびと
)
であったが、
今日
(
きょう
)
は、はじめて
盗人
(
ぬすびと
)
の
親方
(
おやかた
)
というものになってしまった。だが、
親方
(
おやかた
)
になって
見
(
み
)
ると、これはなかなかいいもんだわい。
仕事
(
しごと
)
は
弟子
(
でし
)
どもがして
来
(
き
)
てくれるから、こうして
寝
(
ね
)
ころんで
待
(
ま
)
っておればいいわけである。」 とかしらは、することがないので、そんなつまらないひとりごとをいってみたりしていました。
やがて
弟子
(
でし
)
の
釜右ヱ門
(
かまえもん
)
が
戻
(
もど
)
って
来
(
き
)
ました。 「おかしら、おかしら。」
かしらは、ぴょこんとあざみの
花
(
はな
)
のそばから
体
(
からだ
)
を
起
(
お
)
こしました。 「えいくそッ、びっくりした。おかしらなどと
呼
(
よ
)
ぶんじゃねえ、
魚
(
さかな
)
の
頭
(
あたま
)
のように
聞
(
き
)
こえるじゃねえか。ただかしらといえ。」
盗人
(
ぬすびと
)
になりたての
弟子
(
でし
)
は、 「まことに
相
(
あい
)
すみません。」 とあやまりました。 「どうだ、
村
(
むら
)
の
中
(
なか
)
の
様子
(
ようす
)
は。」 とかしらがききました。 「へえ、すばらしいですよ、かしら。ありました、ありました。」 「
何
(
なに
)
が。」 「
大
(
おお
)
きい
家
(
いえ
)
がありましてね、そこの
飯炊
(
めした
)
き
釜
(
がま
)
は、まず三
斗
(
と
)
ぐらいは
炊
(
た
)
ける
大釜
(
おおがま
)
でした。あれはえらい
銭
(
ぜに
)
になります。それから、お
寺
(
てら
)
に
吊
(
つ
)
ってあった
鐘
(
かね
)
も、なかなか
大
(
おお
)
きなもので、あれをつぶせば、まず
茶釜
(
ちゃがま
)
が五十はできます。なあに、あっしの
眼
(
め
)
に
狂
(
くる
)
いはありません。
嘘
(
うそ
)
だと
思
(
おも
)
うなら、あっしが
造
(
つく
)
って
見
(
み
)
せましょう。」 「
馬鹿馬鹿
(
ばかばか
)
しいことに
威張
(
いば
)
るのはやめろ。」 とかしらは
弟子
(
でし
)
を
叱
(
しか
)
りつけました。 「きさまは、まだ
釜師根性
(
かましこんじょう
)
がぬけんからだめだ。そんな
飯炊
(
めした
)
き
釜
(
がま
)
や
吊
(
つ
)
り
鐘
(
がね
)
などばかり
見
(
み
)
てくるやつがあるか。それに
何
(
なん
)
だ、その
手
(
て
)
に
持
(
も
)
っている、
穴
(
あな
)
のあいた
鍋
(
なべ
)
は。」 「へえ、これは、その、
或
(
あ
)
る
家
(
いえ
)
の
前
(
まえ
)
を
通
(
とお
)
りますと、
槙
(
まき
)
の木
(
き
)
の
生
(
い
)
け
垣
(
がき
)
にこれがかけて
干
(
ほ
)
してありました。
見
(
み
)
るとこの、
尻
(
しり
)
に
穴
(
あな
)
があいていたのです。それを
見
(
み
)
たら、じぶんが
盗人
(
ぬすびと
)
であることをつい
忘
(
わす
)
れてしまって、この
鍋
(
なべ
)
、二十
文
(
もん
)
でなおしましょう、とそこのおかみさんにいってしまったのです。」 「
何
(
なん
)
というまぬけだ。じぶんのしょうばいは
盗人
(
ぬすびと
)
だということをしっかり
肚
(
はら
)
にいれておらんから、そんなことだ。」 と、かしらはかしららしく、
弟子
(
でし
)
に
教
(
おし
)
えました。そして、 「もういっぺん、
村
(
むら
)
にもぐりこんで、しっかり
見
(
み
)
なおして
来
(
こ
)
い。」 と
命
(
めい
)
じました。
釜右ヱ門
(
かまえもん
)
は、
穴
(
あな
)
のあいた
鍋
(
なべ
)
をぶらんぶらんとふりながら、また
村
(
むら
)
にはいっていきました。
こんどは
海老之丞
(
えびのじょう
)
がもどって
来
(
き
)
ました。 「かしら、ここの
村
(
むら
)
はこりゃだめですね。」 と
海老之丞
(
えびのじょう
)
は
力
(
ちから
)
なくいいました。 「どうして。」 「どの
倉
(
くら
)
にも、
錠
(
じょう
)
らしい
錠
(
じょう
)
は、ついておりません。
子供
(
こども
)
でもねじきれそうな
錠
(
じょう
)
が、ついておるだけです。あれじゃ、こっちのしょうばいにゃなりません。」 「こっちのしょうばいというのは
何
(
なん
)
だ。」 「へえ、……
錠前
(
じょうまえ
)
……
屋
(
や
)
。」 「きさまもまだ
根性
(
こんじょう
)
がかわっておらんッ。」 とかしらはどなりつけました。 「へえ、
相
(
あい
)
すみません。」 「そういう
村
(
むら
)
こそ、こっちのしょうばいになるじゃないかッ。
倉
(
くら
)
があって、
子供
(
こども
)
でもねじきれそうな
錠
(
じょう
)
しかついておらんというほど、こっちのしょうばいに
都合
(
つごう
)
のよいことがあるか。まぬけめが。もういっぺん、
見
(
み
)
なおして
来
(
こ
)
い。」 「なるほどね。こういう
村
(
むら
)
こそしょうばいになるのですね。」 と
海老之丞
(
えびのじょう
)
は、
感心
(
かんしん
)
しながら、また
村
(
むら
)
にはいっていきました。
次
(
つぎ
)
にかえって
来
(
き
)
たのは、
少年
(
しょうねん
)
の
角兵ヱ
(
かくべえ
)
でありました。
角兵ヱ
(
かくべえ
)
は、
笛
(
ふえ
)
を
吹
(
ふ
)
きながら
来
(
き
)
たので、まだ
藪
(
やぶ
)
の
向
(
む
)
こうで
姿
(
すがた
)
の
見
(
み
)
えないうちから、わかりました。 「いつまで、ヒャラヒャラと
鳴
(
な
)
らしておるのか。
盗人
(
ぬすびと
)
はなるべく
音
(
おと
)
をたてぬようにしておるものだ。」 とかしらは
叱
(
しか
)
りました。
角兵ヱ
(
かくべえ
)
は
吹
(
ふ
)
くのをやめました。 「それで、きさまは
何
(
なに
)
を
見
(
み
)
て
来
(
き
)
たのか。」 「
川
(
かわ
)
についてどんどん
行
(
い
)
きましたら、
花菖蒲
(
はなしょうぶ
)
を
庭
(
にわ
)
いちめんに
咲
(
さ
)
かせた
小
(
ちい
)
さい
家
(
いえ
)
がありました。」 「うん、それから?」 「その
家
(
いえ
)
の
軒下
(
のきした
)
に、
頭
(
あたま
)
の
毛
(
け
)
も
眉毛
(
まゆげ
)
もあごひげもまっしろな
爺
(
じい
)
さんがいました。」 「うん、その
爺
(
じい
)
さんが、
小判
(
こばん
)
のはいった
壺
(
つぼ
)
でも
縁
(
えん
)
の
下
(
した
)
に
隠
(
かく
)
していそうな
様子
(
ようす
)
だったか。」 「そのお
爺
(
じい
)
さんが
竹笛
(
たけぶえ
)
を
吹
(
ふ
)
いておりました。ちょっとした、つまらない
竹笛
(
たけぶえ
)
だが、とてもええ
音
(
ね
)
がしておりました。あんな、
不思議
(
ふしぎ
)
に
美
(
うつく
)
しい
音
(
ね
)
ははじめてききました。おれがききとれていたら、
爺
(
じい
)
さんはにこにこしながら、三つ
長
(
なが
)
い
曲
(
きょく
)
をきかしてくれました。おれは、お
礼
(
れい
)
に、とんぼがえりを七へん、つづけざまにやって
見
(
み
)
せました。」 「やれやれだ。それから?」 「おれが、その
笛
(
ふえ
)
はいい
笛
(
ふえ
)
だといったら、
笛竹
(
ふえたけ
)
の
生
(
は
)
えている
竹藪
(
たけやぶ
)
を
教
(
おし
)
えてくれました。そこの
竹
(
たけ
)
で
作
(
つく
)
った
笛
(
ふえ
)
だそうです。それで、お
爺
(
じい
)
さんの
教
(
おし
)
えてくれた
竹藪
(
たけやぶ
)
へいって
見
(
み
)
ました。ほんとうにええ
笛竹
(
ふえたけ
)
が、
何
(
なん
)
百すじも、すいすいと
生
(
は
)
えておりました。」 「
昔
(
むかし
)
、
竹
(
たけ
)
の
中
(
なか
)
から、
金
(
きん
)
の
光
(
ひかり
)
がさしたという
話
(
はなし
)
があるが、どうだ、
小判
(
こばん
)
でも
落
(
お
)
ちていたか。」 「それから、また
川
(
かわ
)
をどんどんくだっていくと
小
(
ちい
)
さい
尼寺
(
あまでら
)
がありました。そこで
花
(
はな
)
の
撓
(
とう
)
がありました。お
庭
(
にわ
)
にいっぱい
人
(
ひと
)
がいて、おれの
笛
(
ふえ
)
くらいの
大
(
おお
)
きさのお
釈迦
(
しゃか
)
さまに、あま
茶
(
ちゃ
)
の
湯
(
ゆ
)
をかけておりました。おれもいっぱいかけて、それからいっぱい
飲
(
の
)
ましてもらって
来
(
き
)
ました。
茶
(
ちゃ
)
わんがあるならかしらにも
持
(
も
)
って
来
(
き
)
てあげましたのに。」 「やれやれ、
何
(
なん
)
という
罪
(
つみ
)
のねえ
盗人
(
ぬすびと
)
だ。そういう
人
(
ひと
)
ごみの
中
(
なか
)
では、
人
(
ひと
)
のふところや
袂
(
たもと
)
に
気
(
き
)
をつけるものだ。とんまめが、もういっぺんきさまもやりなおして
来
(
こ
)
い。その
笛
(
ふえ
)
はここへ
置
(
お
)
いていけ。」
角兵ヱ
(
かくべえ
)
は
叱
(
しか
)
られて、
笛
(
ふえ
)
を
草
(
くさ
)
の
中
(
なか
)
へおき、また
村
(
むら
)
にはいっていきました。
おしまいに
帰
(
かえ
)
って
来
(
き
)
たのは
鉋太郎
(
かんなたろう
)
でした。 「きさまも、ろくなものは
見
(
み
)
て
来
(
こ
)
なかったろう。」 と、きかないさきから、かしらがいいました。 「いや、
金持
(
かねも
)
ちがありました、
金持
(
かねも
)
ちが。」 と
鉋太郎
(
かんなたろう
)
は
声
(
こえ
)
をはずませていいました。
金持
(
かねも
)
ちときいて、かしらはにこにことしました。 「おお、
金持
(
かねも
)
ちか。」 「
金持
(
かねも
)
ちです、
金持
(
かねも
)
ちです。すばらしいりっぱな
家
(
いえ
)
でした。」 「うむ。」 「その
座敷
(
ざしき
)
の
天井
(
てんじょう
)
と
来
(
き
)
たら、さつま
杉
(
すぎ
)
の
一枚板
(
いちまいいた
)
なんで、こんなのを
見
(
み
)
たら、うちの
親父
(
おやじ
)
はどんなに
喜
(
よろこ
)
ぶかも
知
(
し
)
れない、と
思
(
おも
)
って、あっしは
見
(
み
)
とれていました。」 「へっ、
面白
(
おもしろ
)
くもねえ。それで、その
天井
(
てんじょう
)
をはずしてでも
来
(
く
)
る
気
(
き
)
かい。」
鉋太郎
(
かんなたろう
)
は、じぶんが
盗人
(
ぬすびと
)
の
弟子
(
でし
)
であったことを
思
(
おも
)
い
出
(
だ
)
しました。
盗人
(
ぬすびと
)
の
弟子
(
でし
)
としては、あまり
気
(
き
)
が
利
(
き
)
かなかったことがわかり、
鉋太郎
(
かんなたろう
)
はバツのわるい
顔
(
かお
)
をしてうつむいてしまいました。
そこで
鉋太郎
(
かんなたろう
)
も、もういちどやりなおしに
村
(
むら
)
にはいっていきました。 「やれやれだ。」 と、ひとりになったかしらは、
草
(
くさ
)
の
中
(
なか
)
へ
仰向
(
あおむ
)
けにひっくりかえっていいました。 「
盗人
(
ぬすびと
)
のかしらというのもあんがい
楽
(
らく
)
なしょうばいではないて。」
二
とつぜん、 「ぬすとだッ。」 「ぬすとだッ。」 「そら、やっちまえッ。」 という、おおぜいの
子供
(
こども
)
の
声
(
こえ
)
がしました。
子供
(
こども
)
の
声
(
こえ
)
でも、こういうことを
聞
(
き
)
いては、
盗人
(
ぬすびと
)
としてびっくりしないわけにはいかないので、かしらはひょこんと
跳
(
と
)
びあがりました。そして、
川
(
かわ
)
にとびこんで
向
(
む
)
こう
岸
(
ぎし
)
へ
逃
(
に
)
げようか、
藪
(
やぶ
)
の
中
(
なか
)
にもぐりこんで、
姿
(
すがた
)
をくらまそうか、と、とっさのあいだに
考
(
かんが
)
えたのであります。
しかし
子供達
(
こどもたち
)
は、
縄切
(
なわき
)
れや、おもちゃの
十手
(
じって
)
をふりまわしながら、あちらへ
走
(
はし
)
っていきました。
子供達
(
こどもたち
)
は
盗人
(
ぬすびと
)
ごっこをしていたのでした。 「なんだ、
子供達
(
こどもたち
)
の
遊
(
あそ
)
びごとか。」 とかしらは
張
(
は
)
り
合
(
あ
)
いがぬけていいました。 「
遊
(
あそ
)
びごとにしても、
盗人
(
ぬすびと
)
ごっことはよくない
遊
(
あそ
)
びだ。いまどきの
子供
(
こども
)
はろくなことをしなくなった。あれじゃ、さきが
思
(
おも
)
いやられる。」
じぶんが
盗人
(
ぬすびと
)
のくせに、かしらはそんなひとりごとをいいながら、また
草
(
くさ
)
の
中
(
なか
)
にねころがろうとしたのでありました。そのときうしろから、 「おじさん。」 と
声
(
こえ
)
をかけられました。ふりかえって
見
(
み
)
ると、七
歳
(
さい
)
くらいの、かわいらしい
男
(
おとこ
)
の
子
(
こ
)
が
牛
(
うし
)
の
仔
(
こ
)
をつれて
立
(
た
)
っていました。
顔
(
かお
)
だちの
品
(
ひん
)
のいいところや、
手足
(
てあし
)
の
白
(
しろ
)
いところを
見
(
み
)
ると、
百姓
(
ひゃくしょう
)
の
子供
(
こども
)
とは
思
(
おも
)
われません。
旦那衆
(
だんなしゅう
)
の
坊
(
ぼ
)
っちゃんが、
下男
(
げなん
)
について
野
(
の
)
あそびに
来
(
き
)
て、
下男
(
げなん
)
にせがんで
仔牛
(
こうし
)
を
持
(
も
)
たせてもらったのかも
知
(
し
)
れません。だがおかしいのは、
遠
(
とお
)
くへでもいく
人
(
ひと
)
のように、
白
(
しろ
)
い
小
(
ちい
)
さい
足
(
あし
)
に、
小
(
ちい
)
さい
草鞋
(
わらじ
)
をはいていることでした。 「この
牛
(
うし
)
、
持
(
も
)
っていてね。」
かしらが
何
(
なに
)
もいわないさきに、
子供
(
こども
)
はそういって、ついとそばに
来
(
き
)
て、
赤
(
あか
)
い
手綱
(
たづな
)
をかしらの
手
(
て
)
にあずけました。
かしらはそこで、
何
(
なに
)
かいおうとして
口
(
くち
)
をもぐもぐやりましたが、まだいい
出
(
だ
)
さないうちに
子供
(
こども
)
は、あちらの
子供
(
こども
)
たちのあとを
追
(
お
)
って
走
(
はし
)
っていってしまいました。あの
子供
(
こども
)
たちの
仲間
(
なかま
)
になるために、この
草鞋
(
わらじ
)
をはいた
子供
(
こども
)
はあとをも
見
(
み
)
ずにいってしまいました。
ぼけんとしているあいだに
牛
(
うし
)
の
仔
(
こ
)
を
持
(
も
)
たされてしまったかしらは、くッくッと
笑
(
わら
)
いながら
牛
(
うし
)
の
仔
(
こ
)
を
見
(
み
)
ました。
たいてい
牛
(
うし
)
の
仔
(
こ
)
というものは、そこらをぴょんぴょんはねまわって、
持
(
も
)
っているのがやっかいなものですが、この
牛
(
うし
)
の
仔
(
こ
)
はまたたいそうおとなしく、ぬれたうるんだ
大
(
おお
)
きな
眼
(
め
)
をしばたたきながら、かしらのそばに
無心
(
むしん
)
に
立
(
た
)
っているのでした。 「くッくッくッ。」 とかしらは、
笑
(
わら
)
いが
腹
(
はら
)
の
中
(
なか
)
からこみあげてくるのが、とまりませんでした。 「これで
弟子
(
でし
)
たちに
自慢
(
じまん
)
ができるて。きさまたちが
馬鹿
(
ばか
)
づらさげて、
村
(
むら
)
の
中
(
なか
)
をあるいているあいだに、わしはもう
牛
(
うし
)
の
仔
(
こ
)
をいっぴき
盗
(
ぬす
)
んだ、といって。」
そしてまた、くッくッくッと
笑
(
わら
)
いました。あんまり
笑
(
わら
)
ったので、こんどは
涙
(
なみだ
)
が
出
(
で
)
て
来
(
き
)
ました。 「ああ、おかしい。あんまり
笑
(
わら
)
ったんで
涙
(
なみだ
)
が
出
(
で
)
て
来
(
き
)
やがった。」
ところが、その
涙
(
なみだ
)
が、
流
(
なが
)
れて
流
(
なが
)
れてとまらないのでありました。 「いや、はや、これはどうしたことだい、わしが
涙
(
なみだ
)
を
流
(
なが
)
すなんて、これじゃ、まるで
泣
(
な
)
いてるのと
同
(
おな
)
じじゃないか。」
そうです。ほんとうに、
盗人
(
ぬすびと
)
のかしらは
泣
(
な
)
いていたのであります。――かしらは
嬉
(
うれ
)
しかったのです。じぶんは
今
(
いま
)
まで、
人
(
ひと
)
から
冷
(
つめ
)
たい
眼
(
め
)
でばかり
見
(
み
)
られて
来
(
き
)
ました。じぶんが
通
(
とお
)
ると、
人々
(
ひとびと
)
はそら
変
(
へん
)
なやつが
来
(
き
)
たといわんばかりに、
窓
(
まど
)
をしめたり、すだれをおろしたりしました。じぶんが
声
(
こえ
)
をかけると、
笑
(
わら
)
いながら
話
(
はな
)
しあっていた
人
(
ひと
)
たちも、きゅうに
仕事
(
しごと
)
のことを
思
(
おも
)
い
出
(
だ
)
したように
向
(
む
)
こうをむいてしまうのでありました。
池
(
いけ
)
の
面
(
おもて
)
にうかんでいる
鯉
(
こい
)
でさえも、じぶんが
岸
(
きし
)
に
立
(
た
)
つと、がばッと
体
(
たい
)
をひるがえしてしずんでいくのでありました。あるとき
猿廻
(
さるまわ
)
しの
背中
(
せなか
)
に
負
(
お
)
われている
猿
(
さる
)
に、
柿
(
かき
)
の
実
(
み
)
をくれてやったら、
一口
(
ひとくち
)
もたべずに
地
(
じ
)
べたにすててしまいました。みんながじぶんを
嫌
(
きら
)
っていたのです。みんながじぶんを
信用
(
しんよう
)
してはくれなかったのです。ところが、この
草鞋
(
わらじ
)
をはいた
子供
(
こども
)
は、
盗人
(
ぬすびと
)
であるじぶんに
牛
(
うし
)
の
仔
(
こ
)
をあずけてくれました。じぶんをいい
人間
(
にんげん
)
であると
思
(
おも
)
ってくれたのでした。またこの
仔牛
(
こうし
)
も、じぶんをちっともいやがらず、おとなしくしております。じぶんが
母牛
(
ははうし
)
ででもあるかのように、そばにすりよっています。
子供
(
こども
)
も
仔牛
(
こうし
)
も、じぶんを
信用
(
しんよう
)
しているのです。こんなことは、
盗人
(
ぬすびと
)
のじぶんには、はじめてのことであります。
人
(
ひと
)
に
信用
(
しんよう
)
されるというのは、
何
(
なん
)
といううれしいことでありましょう。……
そこで、かしらはいま、
美
(
うつく
)
しい
心
(
こころ
)
になっているのでありました。
子供
(
こども
)
のころにはそういう
心
(
こころ
)
になったことがありましたが、あれから
長
(
なが
)
い
間
(
あいだ
)
、わるい
汚
(
きたな
)
い
心
(
こころ
)
でずっといたのです。
久
(
ひさ
)
しぶりでかしらは
美
(
うつく
)
しい
心
(
こころ
)
になりました。これはちょうど、
垢
(
あか
)
まみれの
汚
(
きたな
)
い
着物
(
きもの
)
を、きゅうに
晴
(
は
)
れ
着
(
ぎ
)
にきせかえられたように、
奇妙
(
きみょう
)
なぐあいでありました。
――かしらの
眼
(
め
)
から
涙
(
なみだ
)
が
流
(
なが
)
れてとまらないのはそういうわけなのでした。
やがて
夕方
(
ゆうがた
)
になりました。
松蝉
(
まつぜみ
)
は
鳴
(
な
)
きやみました。
村
(
むら
)
からは
白
(
しろ
)
い
夕
(
ゆう
)
もやがひっそりと
流
(
なが
)
れだして、
野
(
の
)
の
上
(
うえ
)
にひろがっていきました。
子供
(
こども
)
たちは
遠
(
とお
)
くへいき、「もういいかい。」「まあだだよ。」という
声
(
こえ
)
が、ほかのもの
音
(
おと
)
とまじりあって、ききわけにくくなりました。
かしらは、もうあの
子供
(
こども
)
が
帰
(
かえ
)
って
来
(
く
)
るじぶんだと
思
(
おも
)
って
待
(
ま
)
っていました。あの
子供
(
こども
)
が
来
(
き
)
たら、「おいしょ。」と、
盗人
(
ぬすびと
)
と
思
(
おも
)
われぬよう、こころよく
仔牛
(
こうし
)
をかえしてやろう、と
考
(
かんが
)
えていました。
だが、
子供
(
こども
)
たちの
声
(
こえ
)
は、
村
(
むら
)
の
中
(
なか
)
へ
消
(
き
)
えていってしまいました。
草鞋
(
わらじ
)
の
子供
(
こども
)
は
帰
(
かえ
)
って
来
(
き
)
ませんでした。
村
(
むら
)
の
上
(
うえ
)
にかかっていた
月
(
つき
)
が、かがみ
職人
(
しょくにん
)
の
磨
(
みが
)
いたばかりの
鏡
(
かがみ
)
のように、ひかりはじめました。あちらの
森
(
もり
)
でふくろうが、
二声
(
ふたこえ
)
ずつくぎって
鳴
(
な
)
きはじめました。
仔牛
(
こうし
)
はお
腹
(
なか
)
がすいて
来
(
き
)
たのか、からだをかしらにすりよせました。 「だって、しようがねえよ。わしからは
乳
(
ちち
)
は
出
(
で
)
ねえよ。」
そういってかしらは、
仔牛
(
こうし
)
のぶちの
背中
(
せなか
)
をなでていました。まだ
眼
(
め
)
から
涙
(
なみだ
)
が
出
(
で
)
ていました。
そこへ四
人
(
にん
)
の
弟子
(
でし
)
がいっしょに
帰
(
かえ
)
って
来
(
き
)
ました。
三
「かしら、ただいま
戻
(
もど
)
りました。おや、この
仔牛
(
こうし
)
はどうしたのですか。ははア、やっぱりかしらはただの
盗人
(
ぬすびと
)
じゃない。おれたちが
村
(
むら
)
を
探
(
さぐ
)
りにいっていたあいだに、もうひと
仕事
(
しごと
)
しちゃったのだね。」
釜右ヱ門
(
かまえもん
)
が
仔牛
(
こうし
)
を
見
(
み
)
ていいました。かしらは
涙
(
なみだ
)
にぬれた
顔
(
かお
)
を
見
(
み
)
られまいとして
横
(
よこ
)
をむいたまま、 「うむ、そういってきさまたちに
自慢
(
じまん
)
しようと
思
(
おも
)
っていたんだが、じつはそうじゃねえのだ。これにはわけがあるのだ。」 といいました。 「おや、かしら、
涙
(
なみだ
)
……じゃございませんか。」 と
海老之丞
(
えびのじょう
)
が
声
(
こえ
)
を
落
(
お
)
としてききました。 「この、
涙
(
なみだ
)
てものは、
出
(
で
)
はじめると
出
(
で
)
るもんだな。」 といって、かしらは
袖
(
そで
)
で
眼
(
め
)
をこすりました。 「かしら、
喜
(
よろこ
)
んで
下
(
くだ
)
せえ、こんどこそは、おれたち四
人
(
にん
)
、しっかり
盗人根性
(
ぬすっとこんじょう
)
になって
探
(
さぐ
)
って
参
(
まい
)
りました。
釜右ヱ門
(
かまえもん
)
は
金
(
きん
)
の
茶釜
(
ちゃがま
)
のある
家
(
いえ
)
を五
軒
(
けん
)
見
(
み
)
とどけますし、
海老之丞
(
えびのじょう
)
は、五つの
土蔵
(
どぞう
)
の
錠
(
じょう
)
をよくしらべて、
曲
(
ま
)
がった
釘
(
くぎ
)
一
本
(
ぽん
)
であけられることをたしかめますし、
大工
(
だいく
)
のあッしは、この
鋸
(
のこぎり
)
で
難
(
なん
)
なく
切
(
き
)
れる
家尻
(
やじり
)
を五つ
見
(
み
)
て
来
(
き
)
ましたし、
角兵ヱ
(
かくべえ
)
は
角兵ヱ
(
かくべえ
)
でまた、
足駄
(
あしだ
)
ばきで
跳
(
と
)
び
越
(
こ
)
えられる
塀
(
へい
)
を五つ
見
(
み
)
て
来
(
き
)
ました。かしら、おれたちはほめて
頂
(
いただ
)
きとうございます。」 と
鉋太郎
(
かんなたろう
)
が
意気
(
いき
)
ごんでいいました。しかしかしらは、それに
答
(
こた
)
えないで、 「わしはこの
仔牛
(
こうし
)
をあずけられたのだ。ところが、いまだに、
取
(
と
)
りに
来
(
こ
)
ないので
弱
(
よわ
)
っているところだ。すまねえが、おまえら、
手
(
て
)
わけして、
預
(
あず
)
けていった
子供
(
こども
)
を
探
(
さが
)
してくれねえか。」 「かしら、あずかった
仔牛
(
こうし
)
をかえすのですか。」 と
釜右ヱ門
(
かまえもん
)
が、のみこめないような
顔
(
かお
)
でいいました。 「そうだ。」 「
盗人
(
ぬすびと
)
でもそんなことをするのでごぜえますか。」 「それにはわけがあるのだ。これだけはかえすのだ。」 「かしら、もっとしっかり
盗人根性
(
ぬすっとこんじょう
)
になって
下
(
くだ
)
せえよ。」 と
鉋太郎
(
かんなたろう
)
がいいました。
かしらは
苦笑
(
にがわら
)
いしながら、
弟子
(
でし
)
たちにわけをこまかく
話
(
はな
)
してきかせました。わけをきいて
見
(
み
)
れば、みんなにはかしらの
心持
(
こころも
)
ちがよくわかりました。
そこで
弟子
(
でし
)
たちは、こんどは
子供
(
こども
)
をさがしにいくことになりました。 「
草鞋
(
わらじ
)
をはいた、かわいらしい、七つぐれえの
男坊主
(
おとこぼうず
)
なんですね。」 とねんをおして、四
人
(
にん
)
の
弟子
(
でし
)
は
散
(
ち
)
っていきました。かしらも、もうじっとしておれなくて、
仔牛
(
こうし
)
をひきながら、さがしにいきました。
月
(
つき
)
のあかりに、
野茨
(
のいばら
)
とうつぎの
白
(
しろ
)
い
花
(
はな
)
がほのかに
見
(
み
)
えている
村
(
むら
)
の
夜
(
よる
)
を、五
人
(
にん
)
の
大人
(
おとな
)
の
盗人
(
ぬすびと
)
が、一
匹
(
ぴき
)
の
仔牛
(
こうし
)
をひきながら、
子供
(
こども
)
をさがして
歩
(
ある
)
いていくのでありました。
かくれんぼのつづきで、まだあの
子供
(
こども
)
がどこかにかくれているかも
知
(
し
)
れないというので、
盗人
(
ぬすびと
)
たちは、みみずの
鳴
(
な
)
いている
辻堂
(
つじどう
)
の
縁
(
えん
)
の
下
(
した
)
や
柿
(
かき
)
の
木
(
き
)
の
上
(
うえ
)
や、
物置
(
ものおき
)
の
中
(
なか
)
や、いい
匂
(
にお
)
いのする
蜜柑
(
みかん
)
の
木
(
き
)
のかげを
探
(
さが
)
してみたのでした。
人
(
ひと
)
にきいてもみたのでした。
しかし、ついにあの
子供
(
こども
)
は
見
(
み
)
あたりませんでした。
百姓達
(
ひゃくしょうたち
)
は
提燈
(
ちょうちん
)
に
火
(
ひ
)
を
入
(
い
)
れて
来
(
き
)
て、
仔牛
(
こうし
)
をてらして
見
(
み
)
たのですが、こんな
仔牛
(
こうし
)
はこの
辺
(
あた
)
りでは
見
(
み
)
たことがないというのでした。 「かしら、こりゃ
夜
(
よ
)
っぴて
探
(
さが
)
してもむだらしい、もう
止
(
よ
)
しましょう。」 と
海老之丞
(
えびのじょう
)
がくたびれたように、
道
(
みち
)
ばたの
石
(
いし
)
に
腰
(
こし
)
をおろしていいました。 「いや、どうしても
探
(
さが
)
し
出
(
だ
)
して、あの
子供
(
こども
)
にかえしたいのだ。」 とかしらはききませんでした。 「もう、てだてがありませんよ。ただひとつ
残
(
のこ
)
っているてだては、
村役人
(
むらやくにん
)
のところへ
訴
(
うった
)
えることだが、かしらもまさかあそこへは
行
(
い
)
きたくないでしょう。」 と
釜右ヱ門
(
かまえもん
)
がいいました。
村役人
(
むらやくにん
)
というのは、いまでいえば
駐在巡査
(
ちゅうざいじゅんさ
)
のようなものであります。 「うむ、そうか。」 とかしらは
考
(
かんが
)
えこみました。そしてしばらく
仔牛
(
こうし
)
の
頭
(
あたま
)
をなでていましたが、やがて、 「じゃ、そこへ
行
(
い
)
こう。」 といいました。そしてもう
歩
(
ある
)
きだしました。
弟子
(
でし
)
たちはびっくりしましたが、ついていくよりしかたがありませんでした。
たずねて
村役人
(
むらやくにん
)
の
家
(
いえ
)
へいくと、あらわれたのは、
鼻
(
はな
)
の
先
(
さき
)
に
落
(
お
)
ちかかるように
眼鏡
(
めがね
)
をかけた
老人
(
ろうじん
)
でしたので、
盗人
(
ぬすびと
)
たちはまず
安心
(
あんしん
)
しました。これなら、いざというときに、つきとばして
逃
(
に
)
げてしまえばいいと
思
(
おも
)
ったからであります。
かしらが、
子供
(
こども
)
のことを
話
(
はな
)
して、 「わしら、その
子供
(
こども
)
を
見失
(
みうしな
)
って
困
(
こま
)
っております。」 といいました。
老人
(
ろうじん
)
は五
人
(
にん
)
の
顔
(
かお
)
を
見
(
み
)
まわして、 「いっこう、このあたりで
見受
(
みう
)
けぬ
人
(
ひと
)
ばかりだが、どちらから
参
(
まい
)
った。」 とききました。 「わしら、
江戸
(
えど
)
から
西
(
にし
)
の
方
(
ほう
)
へいくものです。」 「まさか
盗人
(
ぬすびと
)
ではあるまいの。」 「いや、とんでもない。わしらはみな
旅
(
たび
)
の
職人
(
しょくにん
)
です。
釜師
(
かまし
)
や
大工
(
だいく
)
や
錠前屋
(
じょうまえや
)
などです。」 とかしらはあわてていいました。 「うむ、いや、
変
(
へん
)
なことをいってすまなかった。お
前達
(
まえたち
)
は
盗人
(
ぬすびと
)
ではない。
盗人
(
ぬすびと
)
が
物
(
もの
)
をかえすわけがないでの。
盗人
(
ぬすびと
)
なら、
物
(
もの
)
をあずかれば、これさいわいとくすねていってしまうはずだ。いや、せっかくよい
心
(
こころ
)
で、そうして
届
(
とど
)
けに
来
(
き
)
たのを、
変
(
へん
)
なことを
申
(
もう
)
してすまなかった。いや、わしは
役目
(
やくめ
)
がら、
人
(
ひと
)
を
疑
(
うたが
)
うくせになっているのじゃ。
人
(
ひと
)
を
見
(
み
)
さえすれば、こいつ、かたりじゃないか、すりじゃないかと
思
(
おも
)
うようなわけさ。ま、わるく
思
(
おも
)
わないでくれ。」 と
老人
(
ろうじん
)
はいいわけをしてあやまりました。そして、
仔牛
(
こうし
)
はあずかっておくことにして、
下男
(
げなん
)
に
物置
(
ものおき
)
の
方
(
ほう
)
へつれていかせました。 「
旅
(
たび
)
で、みなさんお
疲
(
つか
)
れじゃろ、わしはいまいい
酒
(
さけ
)
をひとびん
西
(
にし
)
の
館
(
やかた
)
の
太郎
(
たろう
)
どんからもらったので、
月
(
つき
)
を
見
(
み
)
ながら
縁側
(
えんがわ
)
でやろうとしていたのじゃ。いいとこへみなさんこられた。ひとつつきあいなされ。」
ひとの
善
(
よ
)
い
老人
(
ろうじん
)
はそういって、五
人
(
にん
)
の
盗人
(
ぬすびと
)
を
縁側
(
えんがわ
)
につれていきました。
そこで
酒
(
さけ
)
をのみはじめましたが、五
人
(
にん
)
の
盗人
(
ぬすびと
)
と
一人
(
ひとり
)
の
村役人
(
むらやくにん
)
はすっかり、くつろいで、十
年
(
ねん
)
もまえからの
知
(
し
)
り
合
(
あ
)
いのように、ゆかいに
笑
(
わら
)
ったり
話
(
はな
)
したりしたのでありました。
するとまた、
盗人
(
ぬすびと
)
のかしらはじぶんの
眼
(
め
)
が
涙
(
なみだ
)
をこぼしていることに
気
(
き
)
がつきました。それを
見
(
み
)
た
老人
(
ろうじん
)
の
役人
(
やくにん
)
は、 「おまえさんは
泣
(
な
)
き
上戸
(
じょうご
)
と
見
(
み
)
える。わしは
笑
(
わら
)
い
上戸
(
じょうご
)
で、
泣
(
な
)
いている
人
(
ひと
)
を
見
(
み
)
るとよけい
笑
(
わら
)
えて
来
(
く
)
る。どうか
悪
(
わる
)
く
思
(
おも
)
わんでくだされや、
笑
(
わら
)
うから。」 といって、
口
(
くち
)
をあけて
笑
(
わら
)
うのでした。 「いや、この、
涙
(
なみだ
)
というやつは、まことにとめどなく
出
(
で
)
るものだね。」 とかしらは、
眼
(
め
)
をしばたきながらいいました。
それから五
人
(
にん
)
の
盗人
(
ぬすびと
)
は、お
礼
(
れい
)
をいって
村役人
(
むらやくにん
)
の
家
(
いえ
)
を
出
(
で
)
ました。
門
(
もん
)
を
出
(
で
)
て、
柿
(
かき
)
の
木
(
き
)
のそばまで
来
(
く
)
ると、
何
(
なに
)
か
思
(
おも
)
い
出
(
だ
)
したように、かしらが
立
(
た
)
ちどまりました。 「かしら、
何
(
なに
)
か
忘
(
わす
)
れものでもしましたか。」 と
鉋太郎
(
かんなたろう
)
がききました。 「うむ、
忘
(
わす
)
れもんがある。おまえらも、いっしょにもういっぺん
来
(
こ
)
い。」 といって、かしらは
弟子
(
でし
)
をつれて、また
役人
(
やくにん
)
の
家
(
いえ
)
にはいっていきました。 「
御老人
(
ごろうじん
)
。」 とかしらは
縁側
(
えんがわ
)
に
手
(
て
)
をついていいました。 「
何
(
なん
)
だね、しんみりと。
泣
(
な
)
き
上戸
(
じょうご
)
のおくの
手
(
て
)
が
出
(
で
)
るかな。ははは。」 と
老人
(
ろうじん
)
は
笑
(
わら
)
いました。 「わしらはじつは
盗人
(
ぬすびと
)
です。わしがかしらでこれらは
弟子
(
でし
)
です。」
それをきくと
老人
(
ろうじん
)
は
眼
(
め
)
をまるくしました。 「いや、びっくりなさるのはごもっともです。わしはこんなことを
白状
(
はくじょう
)
するつもりじゃありませんでした。しかし
御老人
(
ごろうじん
)
が
心
(
こころ
)
のよいお
方
(
かた
)
で、わしらをまっとうな
人間
(
にんげん
)
のように
信
(
しん
)
じていて
下
(
くだ
)
さるのを
見
(
み
)
ては、わしはもう
御老人
(
ごろうじん
)
をあざむいていることができなくなりました。」
そういって
盗人
(
ぬすびと
)
のかしらは
今
(
いま
)
までして
来
(
き
)
たわるいことをみな
白状
(
はくじょう
)
してしまいました。そしておしまいに、 「だが、これらは、
昨日
(
きのう
)
わしの
弟子
(
でし
)
になったばかりで、まだ
何
(
なに
)
も
悪
(
わる
)
いことはしておりません。お
慈悲
(
じひ
)
で、どうぞ、これらだけは
許
(
ゆる
)
してやって
下
(
くだ
)
さい。」 といいました。
次
(
つぎ
)
の
朝
(
あさ
)
、
花
(
はな
)
のき
村
(
むら
)
から、
釜師
(
かまし
)
と
錠前屋
(
じょうまえや
)
と
大工
(
だいく
)
と
角兵ヱ獅子
(
かくべえじし
)
とが、それぞれべつの
方
(
ほう
)
へ
出
(
で
)
ていきました。四
人
(
にん
)
はうつむきがちに、
歩
(
ある
)
いていきました。かれらはかしらのことを
考
(
かんが
)
えていました。よいかしらであったと
思
(
おも
)
っておりました。よいかしらだから、
最後
(
さいご
)
にかしらが「
盗人
(
ぬすびと
)
にはもうけっしてなるな。」といったことばを、
守
(
まも
)
らなければならないと
思
(
おも
)
っておりました。
角兵ヱ
(
かくべえ
)
は
川
(
かわ
)
のふちの
草
(
くさ
)
の
中
(
なか
)
から
笛
(
ふえ
)
を
拾
(
ひろ
)
ってヒャラヒャラと
鳴
(
な
)
らしていきました。
四
こうして五
人
(
にん
)
の
盗人
(
ぬすびと
)
は、
改心
(
かいしん
)
したのでしたが、そのもとになったあの
子供
(
こども
)
はいったい
誰
(
だれ
)
だったのでしょう。
花
(
はな
)
のき
村
(
むら
)
の
人々
(
ひとびと
)
は、
村
(
むら
)
を
盗人
(
ぬすびと
)
の
難
(
なん
)
から
救
(
すく
)
ってくれた、その
子供
(
こども
)
を
探
(
さが
)
して
見
(
み
)
たのですが、けっきょくわからなくて、ついには、こういうことにきまりました、――それは、
土橋
(
どばし
)
のたもとにむかしからある
小
(
ちい
)
さい
地蔵
(
じぞう
)
さんだろう。
草鞋
(
わらじ
)
をはいていたというのがしょうこである。なぜなら、どういうわけか、この
地蔵
(
じぞう
)
さんには
村人
(
むらびと
)
たちがよく
草鞋
(
わらじ
)
をあげるので、ちょうどその
日
(
ひ
)
も
新
(
あたら
)
しい
小
(
ちい
)
さい
草鞋
(
わらじ
)
が
地蔵
(
じぞう
)
さんの
足
(
あし
)
もとにあげられてあったのである。――というのでした。
地蔵
(
じぞう
)
さんが
草鞋
(
わらじ
)
をはいて
歩
(
ある
)
いたというのは
不思議
(
ふしぎ
)
なことですが、
世
(
よ
)
の
中
(
なか
)
にはこれくらいの
不思議
(
ふしぎ
)
はあってもよいと
思
(
おも
)
われます。それに、これはもうむかしのことなのですから、どうだって、いいわけです。でもこれがもしほんとうだったとすれば、
花
(
はな
)
のき
村
(
むら
)
の
人々
(
ひとびと
)
がみな
心
(
こころ
)
の
善
(
よ
)
い
人々
(
ひとびと
)
だったので、
地蔵
(
じぞう
)
さんが
盗人
(
ぬすびと
)
から
救
(
すく
)
ってくれたのです。そうならば、また、
村
(
むら
)
というものは、
心
(
こころ
)
のよい
人々
(
ひとびと
)
が
住
(
す
)
まねばならぬということにもなるのであります。
底本:「ごんぎつね・夕鶴 少年少女日本文学館第十五巻」講談社
1986(昭和61)年4月18日第1刷発行
1993(平成5)年2月25日第13刷発行
初出:「花のき村と盗人たち」帝国教育会出版部
1943(昭和18)年9月30日
入力:田浦亜矢子
校正:もりみつじゅんじ
1999年10月25日公開
2012年5月8日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、
青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)
で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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