年賀状 ~その1~

2017.12.25 岡田定晴
 麦畑をかける少女(作曲:Amacha)

 欧米には「クリスマスカード」というものがありますが、日本には「年賀状」があります。 日本には、古来から年始の挨拶の習慣があり、武家社会で文書による「年始のあいさつ」が普及し、 明治になって郵便制度ができて、葉書で簡単に年始の挨拶が送れるようになって、 それが現在の「年賀状」に発展してきたという長い歴史があります。
 今、年賀状を書き上げたところなので、自分自身の「年賀状」を情報通信技術の発展の視点から振り返ってみたいと思います。

 初めて年賀状を書いたのは、昭和30年代後半、小学校の高学年になってからだと記憶しています。 小学校で版画を習い、仲良しの友達も増えてきて、住所を交換し始めたころです。文房具屋さんで、 葉書大の石膏ボードや、版画用の木板が売られていました。それを彫って、絵の具を塗った後、 年賀はがきの裏面の位置を合わせて、竹皮のバレンで擦って仕上げました。絵の具が乾くと、住所録を見ながら、 表面に宛て先の住所を手書きします。当時、水性のサインペンが売られていたので、これを使いました。 鉛筆で書いたこともありますが、宛名書きにはサインペンが相応しいと子供心に思ったのでしょう。 自分の(差出人の)住所も同様に手書きをしました。担任の先生からも年賀状をいただきましたが、 差出人の住所と氏名は、ゴム印が押されていました。ゴム印が格好良く見えましたが、多くの年賀状を書くのに 手が疲れないようにして少しでも時間の節約をされたのでしょう。

 昭和40年代に、中学、高校、大学時代を過ごしました。昭和46年に世界初のマイクロプロセッサ が誕生していましたが、昭和50年に大学を卒業するころに初めて研究室でi4004の載ったボードを見た 程度で、8ビットのワンボードマイコンやBASICが走るパソコンや、ましてやOSを持ち外部記憶装置を持つパソコンなどは 存在しませんでした。ですから、年賀状の作り方や住所の管理方法などは、殆ど進歩がありませんでした。



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 昭和50年に社会人となり、年賀状を出す相手は、小学校時代からの友人や先生に加えて、 仕事でお世話になっている人にも広がりました。しかし、昭和50年代も年賀状の作成方法については あまり進歩がありませんでした。 昭和54年(1979)に8ビットのパーソナルコンピュータPC8001(NEC製)が、 昭和57年(1982)に16ビットのパソコンPC9801が発売されました。 広い職場にポツンと1~2台、机の上にこれらのパソコンが置いてありましたが、 使うことへのハードルが高く、つまり知らなくてはいけないことが多く、あまり実用的なものではありませんでした。 個人でパソコンを持とうと思ったことはありますが、まだ実用的ではないし、すぐに新しい機種が発売されるので買っても無駄になるという 思いが強かったのです。昭和50年代末以降、MS-DOS上で動くワープロ「松」や「一太郎」、データベース「桐」や 図形ソフト「花子」が登場して、業務用にパソコンが使われるようになりました。しかし、処理スピードや 機能は、今とは比べようもなく、「待つこと」「操作のしにくさ」に対して忍耐が必要でした。
 昭和60年になって、時間的なゆとりもでき、16ビットマシンで5インチフロッピーディスクドライブを2台搭載した NECのPC9801VM2を44万円程度で購入しました。パソコンもある程度実用的なものになり 暫くは安定的に使えるであろうと感じたこと、将来の自分のために投資しようと思って、一大決心のうえ借金をして買いました。

花子とカラードットプリンターによる年賀状  私の年賀状の作成方法が大きく変わったのは、昭和62年でした。カラードットプリンターを23万円で購入しました。 個人でカラー印刷ができることは、画期的なことでとても魅力的なことでした。 昭和62年、63年、64年の年賀状が残っていました。図形ソフトは、「花子」を使いました。 一番左の年賀状は、昭和62年(卯年)の年賀状です。当時としては、よくできた年賀状だと満足していました。しかし、 緑色と青色を使いすぎてしまいました。カラーインクリボンは、黒と3つの色のインクがリボンの上から下に並び、 それが右から左に帯状に塗布されているもので、3色同じ量を使わないと他の色が無駄になってしまいます。 プリンターとインクの価格比はプリンターの方がはるかに高価で今とは全く違いますが、カラーインクリボンはとても高価なもので、 年々使用する色を控えるようになり、昭和64年(1月8日からは平成元年)の年賀状では、ついにカラーを使わなくなりました。

 またこの時から、住所録の管理も、データベース「桐」を使って、初めてパソコンで行うようになりました。 年賀状にICT(情報通信技術)を導入したものの、完成するまでにかなりの時間をかけており、 妻から、「これまでのように手で書いたほうが早いのに」と言われ続けました。 毎年年末は、徹夜に近い状態で、すべて完成するのは早くても12月30日、通常は大晦日になっていました。 でも、これほどまでに手作りにこだわったことも、良い想い出になりました。

 次回は、インクジェットプリンターによる年賀状作成の時代から、インターネットによる年賀状の発注、 住所録やコメントの情報システム化の時代へと進みます。

参考
1) ICTの今と昔 ~その3「1980年代後半」

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